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防災社会デザイン研究会 慶應SFC

女川町立病院


東北巡検最終日の午前中は、宮城県女川町立病院を訪れました。東日本大震災では、海抜16メートルの高台に立つこの女川病院まで津波が到達しました。病院の駐車場にあった避難してきた人々の車は流され、病院1階は約2メートルの高さまで浸水したと証言されています。

東日本大震災から5年が経ったいま、女川町立病院は「女川町地域医療センター」として生まれ変わっています。介護と医療を両立させた、高齢化する女川のいまに寄り添う施設になりました。

敷地内は整備され、震災のモニュメントが整然と立ち並んでいました。病院の建物も綺麗に復旧していますが、その一方で高台にあるそこから臨む景色は、まだまだ復興中という印象を強く受けました。これから更に復興の進んでいく女川町で「女川町地域医療センター」がどのように人・地域と携わっていくのでしょうか。この病院が、町民の方々がよりよい暮らしをすることの出来るまちづくりの第一歩となるに違いありません。

【感想】

病院への階段を上る途中、ふと後ろを振り返ってみると、想像していたよりも高い場所に自分が立っていることに驚きました。しかし、病院はもっともっと上にありました。階段を上がりきったところで改めて高台からの景色を見渡すと、「海抜16メートルの高さまで津波が到達した」と言葉で聞いただけではその意味を全く理解できていなかったことに気づかされました。こんなに高いところまで津波が来るなんて・・・。胸が締め付けられる思いでした。それと同時に、飾られている子供が描いた絵や、流れるラジオの音、販売されているソフトクリームなどを見て、どこか温かい気持ちになり、勇気づけられた自分がいました。

今回私は初めて大木研究室の皆さんとご一緒させていただき、また、初めて東北に行きました。巡検で感じ・学んだことすべてが深く心に残っています。自分に何ができるだろうと深く考えさせられ、防災ともっと関わっていきたいという決心にもつながりました。機会があれば、またすぐにでも東北に行ってみたいです。(所)

付近の道路から病院の敷地まではかなりの高低差があり、長い階段をのぼる必要があります。(息切れするくらいの長さです)

階段の下から見上げた病院は、津波に襲われたと言われてもにわかには信じることの出来ないくらいの高さにありました。ところどころについた曲がった手すりを横目に階段をのぼると、嵩上げ工事真っ最中の更地に近い光景が徐々に見えてきます。

津波の襲った高さや、海からの距離、眼下に広がる景色など写真で目にしたものとはまったく異なる印象を受けました。

やはり、実際に見なくてはわからないことがある、そう強く再認識しました。

敷地内には震災モニュメントや、ホヤの入ったソフトクリームの食べられるコミュニティカフェがあります。

一休みしつつ女川を襲った津波をより身近に感じることの出来るので、一度ぜひ訪れてみてください。(村澤)


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