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防災社会デザイン研究会 慶應SFC

南三陸町防災対策庁舎


3月11日から3月13日にかけて東北巡検に行ってきました。いろんな場所を見学しました。そして、あっという間に3日目になってしまいました。ここでは南三陸町の防災対策庁舎見学に関して書こうと思います。

防災対策庁舎は、旧志津川町の3つめの庁舎として竣工され、旧志津川町役場は、行政第1庁舎、行政第2庁舎、防災対策庁舎の3つが並ぶ形で建っていました。 3庁舎は海抜1.7m、海岸から約600mの地点に建っていて、津波に襲われる危険がありました。 実際、防災対策庁舎の前には1960年のチリ津波の際に2.4mの津波に襲われたことを示す標識が立っていました。

そして、2011年の東日本大震災を迎え、3庁舎は津波に襲われました。 第1庁舎、第2庁舎は流され、防災庁舎は流されはしなかったものの、甚大な被害を受けました。 防災対策庁舎は鎮魂、災害文化の伝承、次世代へのメッセージという3つの意義で震災遺構として残すか議論されています。

【見学した感想】

実物を間近で目にすると、想像よりも建物は高く、津波が屋上まで到達したということに改めて驚きました。また、鉄骨や階段の手すりがみな同じ方向に歪んでおり、津波が強力な力が加わったことがわかり、そこでも津波に驚かされました。こんな強大な自然の力に対し、我々人間はあまりにも無力だと感じました。津波に限らず、今後の日本の防災対策がどうなっていくのか気になります。(竹田)

防災庁舎に向かう途中、バスの中から外を眺めると、あっちこっちピラミッドみたいな形をした高い土砂の山がたくさんあって、あまり変化のない景色の中を延々走る感覚がありました。「うあ。。。」と感嘆しつつも気持ちが複雑になりました。ここ将来はどうなるのでしょうかと。そんな風景の奥に防災庁舎の遺構が立っています。防災庁舎は思ったよりも高かったです。目に映るのは赤い鉄骨とぐしゃぐしゃに歪んでいる鉄筋です。こんなの初めて見てかなり衝撃的で、はっと息を呑みました。津波の威力がどれだけ強いのか、想像できるようなできないような気がしました。庁舎の前に線香と花束を供えるための白い台が置いてあります。祈りをするたびに、ここでは多くの人々の大切な命が亡くなったということを深刻に感じさせられました。ちゃんと計画を立てれば、この防災庁舎が貴重な教材として将来に防災教育で活用さられるかもしれないと思います。でも、もし自分がそこで亡くなった人の遺族の一人だったらどうでしょう。残して欲しいかどうか正直わかりません。機会があれば遺族の方々の本音も聞いてみたいです。(Eva)

南三陸町、そして防災対策庁舎。自分にとって、防災を研究するきっかけとなった場所です。ここに来る度、その景色は変化しています。今回は盛り土に囲まれた防災対策庁舎の姿になっていました。この防災対策庁舎がどのような形で後世に残されていくのか。南三陸町に寄り添い、見守っていきます。(永松)

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